
1.相撲の起源と礼儀の根源
相撲は、古事記にも記述が見られるほど古くから伝わる日本の伝統文化であり、元来は五穀豊穣を願う「神事」として執り行われてきました。現代の大相撲においても、この神事としての性格が色濃く残り、土俵は神が宿る神聖な場所とされています。力士たちは、その神聖な空間で技を競い合うため、形式化された厳格な礼儀作法、すなわち「相撲道」を重んじています。
相撲の礼儀は、技術や体力と同じく、力士にとっての「品格」を形成する要素であり、土俵上でのすべての所作は、「神に捧げる」意味合いを帯びています。勝敗を超えた精神性が求められることが、相撲を単なるスポーツではなく、日本固有の伝統文化、そして「国技」たらしめている所以です。
2.土俵上での儀式と作法:神聖な空間を清める
取組の前後に力士が行う儀式的な作法は、土俵を清め、自らの心身を整え、神への祈願と宣誓を行うという意味を持っています。
蹲踞と一礼(そんきょといちれい)
力士は花道から土俵へ上がる際、まず土俵に向かって一礼し、控えの席である「二字口」に入ります。これは神聖な土俵への敬意を示す動作です。土俵に上がった後、力士は腰を下ろし両膝を開いた「蹲踞」の姿勢を取ります。これは力士の基本姿勢であり、いつでも戦える体勢を示しつつ、相手を敬う意味合いも含まれています。
四股(しこ)
取組前の重要な儀式の一つが四股です。土俵の四隅と中央で、片足を高く上げ、力強く土俵を踏みつける動作は、「地中の邪気を払い清める」という意味が込められています。力士の強靭な肉体と、神事としての清めの精神が融合した象徴的な作法です。
力水と力紙(ちからみずとちからがみ)
土俵に上がる前に、前の取組の勝者(または次の取組の控え力士)から「力水」を受けます。口に含み、力紙で覆って捨てる所作は、身を清める「禊(みそぎ)」を意味します。負けた力士は力水をつけられないという慣習も、勝者への敬意と、土俵上の礼節を重んじる相撲道の現れです。
塵を切る(ちりきる)
力水をつけた後、力士は両手を前に出して拍手を打ち、左右に広げて手のひらを返す「塵を切る」という所作をします。これは、手に何も武器を持っていないことを示し、正々堂々と戦う宣誓と、土俵上の邪気を払う意味があります。
清めの塩(きよめのしお)
力士が土俵に塩をまく所作は、相撲を象徴する光景の一つです。塩は、土俵の邪気(悪い気)を払い、土俵を清めるための重要な役割を担います。また、まく量や所作に力士それぞれの個性が出ることも、相撲の奥深さを示しています。
仕切りと立ち合い
両力士が仕切り線で向き合い、腰を割って両手を土俵に下ろす「仕切り」は、取組に向けた心と体の準備を行う時間です。互いの呼吸と精神を集中させ、両者が同時に立ち上がる「立ち合い」で勝負が始まります。この「呼吸」を合わせるという行為も、互いを尊重し、正々堂々とした勝負を求める礼儀の精神に基づいています。
勝ち名乗りと手刀(てかたな)
取組に勝利した力士は、蹲踞の姿勢をとり、行司からの「勝ち名乗り」を受けます。この際、懸賞金を受け取る場合、勝者は行司に向かって右、左、中の順で手をかざす「手刀」を切ります。これは、神への感謝と、褒美に対する謙虚な姿勢を示すものです。
3.日常生活における礼儀と品格
相撲の礼儀は土俵上にとどまりません。力士は日常生活においても、相撲道の精神に基づいた振る舞いが求められます。
髷と着物
力士は、場所や地位に応じて外出時にも厳格な服装規定があります。例えば、十両以上の関取は、外出時に「紋付羽織袴」を着用することが許され、幕下以下の力士とは区別されます。また、丁髷(まげ)を結うことは、力士の象徴であり、相撲に対する誇りと伝統を重んじる姿勢を示しています。
部屋での作法と上下関係
相撲部屋での生活は、師匠である親方を頂点とした厳しい徒弟制度と、厳格な上下関係によって成り立っています。稽古場での作法はもちろん、食事、掃除、身の回りの世話など、すべてにおいて「力士」としての品格と礼儀が求められます。特に、関取がまわしを締める際には、付け人が付きっきりで世話をするなど、地位に基づく明確な礼節が存在します。
観客と伝統への敬意
力士は、観客に対しても常に礼儀正しく振る舞うことが求められます。また、日本相撲協会が定める「品格」「礼節」を重んじる姿勢は、伝統文化を担う者としての自覚と責任に裏打ちされています。
まとめ
相撲における礼儀は、単なるマナーではなく、神事としての伝統、武道としての精神、そして力士としての品格を統合する「相撲道」の核心です。土俵上での一挙手一投足に込められた深い意味を知ることは、相撲をより深く理解し、その文化的な価値を享受することに繋がります。力士たちが厳しい稽古で心技体を磨くとともに、この礼儀を遵守し、代々受け継いでいくことこそが、相撲を日本の国技として未来永劫守り伝えていくための重要な使命と言えるでしょう。

